いのちの温床


数日前にオピスエールを扱うひろみさんをお誘いして

人生フルーツをまた見てきました。

津端さんご夫婦、本当に素敵なんです。

最近、宮迫千鶴さんのエッセイを読んでいて そのエッセイの中の

いのちの温床 という言葉が妙に引っかかり 

この津端さんご夫婦のことを思っり。

 枯葉の下からつぎつぎと新しいいのちがうまれてくる。

 まさに、いのちが循環している。

 よく冬枯れと言って冬を不毛の季節のように人は言うけど、

 私には冬はいのちの温床に思える。

 よ言うことは、と私の連想は回転する。

 私たちの人生における冬すなわち老もいのちの温床なのだろうか。

 最近、年の二世代だけの核家族の中で育っていく子供の心身の病理が

 よく話題になるけど、もしかするとそれはいのちの温床であるところの

 おじいさんやおばあさんが身近にいないからだろうか。

 と同時に若者がいなくなった山奥の過疎の村にいるおじいさんやおばあさんも

 なんとなくかわいそうである。自分たちのいのちの温床にはぐくむものがない日々が

 続くのだ。そういう老は深くさびしいだろう。

 春になっても新芽の芽生えるる事のない冬。長い冬。

           かぼちゃの生活より

とこんなことが書いてあるのだけど、

なんかいろいろと考えてしまいます。

人生フルーツ、すごく良いからと長野に住む母に伝えたら、

隣に住む、以前から津端さんご夫婦を知っていた叔母と

その仲間たちとで早速見に行ったと。

いくつになっても女性は元気ですよね。

またべつの叔母は、津端さんご夫婦の生き方にかなり影響をうけていたそうで

物の買い方、畑の作り方、考え方と

図書館でほぼ年間借りっぱなし、すべて暗記するほど本を読みこんだのだそうです。

はぶ草やハトムギなんかも作っていますが、

それも津端さんの本からの影響だったと、今回はじめて知り、なんだか感動。

もう母も叔母たちも、宮迫さんの言われた いのちの冬真っ只中なわけですが、

暮らしは別々だけど、いろいろなものを循環してもらってたんですね。

津端さんご夫婦も、お二人だけの生活でしたが、

いろんな芽を、いろいろなところで、そして循環していくって

やっぱり素敵ですね。


*左がはぶ草(ケツメイシ)で右が

 右がハトムギ。炒ってお茶にします*


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